何がしたいのか分からないまま気が付いたら中年になっていたなんて、そんなの当たり前じゃないですか。
2019年の1月19日にはてなブログに投稿された40歳の人の記事が話題になっています。
進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。
公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋もお気に入りの場所だった。
引用
言われるがままでも頑張ったという事実は変わらないです。
結果、この人は国立大学に入ります。
この時点で、僕から見たら成功者だと思いますが。
高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試とセンター試験の区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部を適当に受けた。
引用
一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパートで一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパーと百均と古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額の範囲でいかに生活するかばかり考えていた。
引用
ものすごく優秀な面と著しく欠落している面が同居しているように見えます。
僕が注目したのは次の文です。
図書館も大きかった。パソコンとインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。
この頃には周りの人間も猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。
引用
次の引用ですが、共感する人の投稿がものすごい数、集まったそうです。
このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間。
今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。
すでに自分の人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。
ほぼ全文に近い部分を引用してしまったわけですが、これ以上省ききれないほどメッセージが詰まっていると感じました。
なぜこの文章に凄い数の投稿が集まったのでしょうか?
文才は間違いなくあります。
その下地はネットや古本屋で仕入れた、彼が言うところの「ただ溜まっていく雑学」です。
雑学ほど大切なものはないと僕は思っています。
それが自分の文章の元ネタになっていくから。
「小雨の降る午後のように静かに夜を待つだけの時間」
こんな素敵な表現は僕には全然思いつきません。
文章の全体を読んでいくにつれ、なんだかこの人の心の中が情景になって浮かんでくるような感じがします。
これを才能と呼ばずしてなんと表現するのでしょうか?
僕はこのあいだ60歳になりましたが、独りのまま60を過ぎると仙人になるような気がしますwww
苦労ばかりで毎日ハラハラドキドキ、いつも心は土砂降りだぜ・・・
これリライトのチカラですよ!押えといてくださいwww
オリジナルなど、この世の中にほとんどないのです。
みんな生まれた時から真似して成長していくのです。
自分の人生にオリジナルを目指す必要はありません。
ちょっと心理学的な話をすると、個々とは一つの意識の分かれた存在だからです。
この事実に気が付けば劣等感はかなり減っていきますwww
60年も痛めつけられ続けると、そのくらいの壁とかは全然なんとも思わなくなってきますね。
外に出て行って鍛えないとこの強さって身につかないかもしれません。
抵抗勢力は拒否しても向こうからやってくるし、
皮膚の厚さが増してきたような、単に感覚がにぶくなっているからか全然へっちゃらですwww
この方に本を書くことを強くお勧めします。
人の心を動かすことができるのならそれが才能です。
炎上最高
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