ただの趣味だけではやがて行き詰まるから
62歳と言うと、ほぼ仕事も一段落した頃だと思います。
でも、まだまだ現役で働きたい年代でもあります。
僕個人の考えですが、早めに年金を受け取って仕事の負担を減らした方がいいと思っています。
60歳を過ぎた頃、これからの人生をどう生きていったらいいか考えたのです。
趣味を持っていないと、つまらないなと思いました。
少林寺拳法を始めて48年になります。
人に教えるという事をもう15年ほどやっています。
これは趣味と言うより、もうライフワークですから、やっていて当たり前と言う感じです。
そこに大きな変化があるわけでもなく、ただ続けることが習慣になっています。
継続しつつ、それ以外の事で情熱をかけられることを探しました。
昨年から始めたのは釣りです。
その為に、海の近くに引っ越しました。
釣り仲間もいて、趣味としては最高です。
年金受給が始まって、仕事は半分ぐらいに減らしましたので、時間はたっぷりあります。
収入はさほど気にしないでも暮らしていける状況になっています。
仕事以外にやっていることは、武道と釣りですが、それだけではなんだか物足りないと思うようになりました。
そこで始めたのが英語だったのです。
やり始めてわかった外国語習得の面白さ
英会話スクールに通い始めた当初、ネイティブの言葉がまったく聞き取れず、こりゃ無理だと思ったものです。
到底英語なんかできるようになるわけない。
そんなレベルでした。
今はどうかというと、少しは相手の言葉が聞き取れるようになった程度です。
スクールに行ってグループレッスンを受けるのは、実地検証みたいなもので、英語を学ぶのは、ほとんどホームワーク(自習)です。
毎日、30分以上英語に触れる生活を送っています。
CDを聞くのとそれをまねて話してみる事。
リスニングとスピーキングの繰り返しです。
同時に中学生の英文法をやっています。
ある程度、英語の音に慣れてきてから、文法を勉強し始めましたが、これは正解だったと思います。
文法ができないと、会話は全く進みませんが、文法を理解し始めると進み具合に大きな差が出ます。
最近は徐々にですが、英語が楽しく思えるようになってきました。
この状態に到達できれば、継続はさほど難しいものではありません。
やめないで続けるのが一番必要な事で、やめたくなる理由は無限に現れてくるのですが、どんなことがあってもやめないと決めて続けるしかないです。
次の目標はTOEIC800点と英検1級・・・そしてその後は
英語自体が目標というより、英語を習得して何に役立てるかが大切です。
僕の場合、海外の人に英語で武道が指導できるようになるという夢があります。
英会話が出来るようになることで世界は大きく広がると思います。
それともう一つ、出来ないと思われたことが、努力によって可能になる喜びです。
武道指導というのは、人生指南的な側面が大きいです。
自分自身が常に自分を高める努力をしていないといけないのです。
そういう努力は必ず相手に伝わります。
武道を極めるというより、人としての生き方を追求する。
カッコつけすぎかもしれませんが、そういう事です。
英語はコミュニケーションの手段ですから、外国人にも指導できるというのは大きな意味があります。
外国人とのふれあいで、日本人にはない感性を知る
未だ勉強の途中ではあるものの、英会話をマスターすることで得られるものは沢山あると実感しています。
60歳を過ぎ、残りの人生は日々少なくなっていきますが、まだ20年は生きれると思えば、人生は長い道のりです。
始めるのに遅すぎるという事はないです。
他人との競争でもありません。
武道をやっているのに勝負を否定するのは変でしょうか?
むしろ人と争わない方法こそが武道の真髄でもあります。
武という字は「矛(ホコ=やり)を止める」という意味があるのです。
つまり武道を修行するのは、争いを止めるためなのです。
語学習得は相互理解を広げることに通じる
何故、地球上には6000を超える言葉が存在するのでしょう?
旧約聖書にこれに関する記述があります。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[4]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。— 「創世記」11章1-9節[5]
元々、世界には一つの言語しかなかったが、神が思い上がった人類に罰として言葉をバラバラにして理解できないようにしたというのです。
英会話の教材として、よく使われるエピソードです。
本来、一つの言語でコミュニケーションを取れるはずなのに、言葉という壁がそれを困難にしている。
言葉の壁を乗り越えて、どの国の人とも意思の疎通ができたらどんなに幸せな事でしょうか?
現在の地球上において、この世界共通語に最も近いのが英語という事になります。
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